カウンターセックス宣言の話(この本の話をするときにこういう註釈入れるの本の意義に反してるかもだけど) 

ポール・B・プレシアドが「ディルドを入手する最も真正な方法の一つは、サドのように職人に作ってもらうことだろう。今日では、3Dプリンターがあれば事足りる。」というとき、それはめちゃくちゃカッコよく響くけど、3Dプリンタユーザとしては、そんな簡単なもんじゃない。という気持ちでいっぱいになる。
FMD式の3Dプンリタで出力したものはガタガタで硬くてバリも多くとても人体に入れられるものじゃないし、光学式での出力品は滑らかだけど材料のレジンはアレルギーの危険が高くこれも人体に入れることはできない。
だから結局、シリコンの原型くらいにしか使えないのだけど別にそれだったら別に粘土でもいいじゃんみたいな話になっちゃうわけで……。もちろん3Dプリンタ特有の正確な設計とか利点としてあるだろうけど、この文章にカッコ良さからはあまりに些細な利点だと思う。
こんな細かい話でなにを?ということなんだけど、この時代のある種の哲学やクィア理論のカッコ良さはこういう「エアプ」感がくっついてる場面がままあってなんか警戒してしまう。

カウンターセックス宣言の話(この本の話をするときにこういう註釈入れるの本の意義に反してるかもだけど) 

この話は3Dプリンタの使い方だから別にさして差別文脈に繋がるわけでもないし、また同時に指摘も容易なんだけど、そうでないことも多い(とはいえそれらの批判はすでに色々あるとは思う)。

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カウンターセックス宣言の話(この本の話をするときにこういう註釈入れるの本の意義に反してるかもだけど) 

プレシアドに限らず3Dプリンタを楽観的に語る人に対して3Dプリンタの扱いがどれだけ大変かわかるかーーーー!!!私が日々どんな苦労をしてると😭😭みたいなうらみがあるのは否定できない。

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