「自己修正」自体がバイアスである罠w
>MIT Tech Review: 大規模言語モデルのバイアス問題に「自己修正」の可能性https://www.technologyreview.jp/s/302041/language-models-might-be-able-to-self-correct-biases-if-you-ask-them/
>感覚は物理的な情報を感じること、知覚はそこから意味のあるパターンを作ること、認知は意味(知識)をつかむことです。
>知覚は心が作り出すものです。
>知覚を心の構成物とみなすのであれば、記憶は再構成されたものということになります。記憶はテープレコーダーのようなものではなく、常に情報を符号化、復号化、再符号化するはたらきなので、その間に多数のエラーやバイアスが入り込む余地があります。
(『初めて学ぶ ビデオゲームの心理学』(p.6,7,13))
『初めて学ぶ ビデオゲームの心理学』には「バイアス」の説明として脚注に「客観的には必ずしも正しくないのに、思い込みなどによって、偏った思考や記憶を無自覚にもってしまうこと」(p.13)と書かれているが,「正しい」とか「偏った」という評価自体が主観だよね。
錯視のような客観と断言できるエビデンスがあるのなら「バイアス」を評価することに意味はあるのだろうが,「倫理的に正しい」ことや「常識」に客観は存在しないだろう。
子供が親に玩具をおねだりするときに言う「みんな持ってるから」の「みんな」と同じだよw
様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。
『初めて学ぶ ビデオゲームの心理学』には「バイアス」の説明として脚注に「客観的には必ずしも正しくないのに、思い込みなどによって、偏った思考や記憶を無自覚にもってしまうこと」(p.13)と書かれているが,「正しい」とか「偏った」という評価自体が主観だよね。
錯視のような客観と断言できるエビデンスがあるのなら「バイアス」を評価することに意味はあるのだろうが,「倫理的に正しい」ことや「常識」に客観は存在しないだろう。
子供が親に玩具をおねだりするときに言う「みんな持ってるから」の「みんな」と同じだよw