「政治的」ということ
会議を仕切っていたのは、区長(自治会長)の中から選任された協議会会長で、普通に、人望も能力もあると思われている人だ。国粋主義者ではない。
しかし、英霊塔の清掃を集落自治会が持ち回りで請け負うという慣例を黙って受け入れるという意思は固いようだった。
それは政治的な選択である。自分では、全くのノンポリのつもりなのだろうが、多数派に従って多数派の思想を受け入れるというのは、まぎれもなく、政治的な選択である。
こっちの少数派と目される言動は「政治的すぎる」という言葉で簡単に退けられ、多数派の思想をなんとなく受け入れる側は理屈もへったくれもなく「和」をもって尊んでいれば良いという、何と言う不公平よ。
それでも、黙っている人たちの中にも理解する人はいるに違いないので、自分が信じるところの理は表明しなければならない。どのような表明の仕方が良いのかという事も考えるが、正直なところ、あまりよく分からないし、自分の慣れたスタイルでやるしかない。効果の程はわからん。知らん。