フォロー

庭住みメブキジカの話(文章) 

私の家の庭には、メブキジカが住んでいる。先代である父が庭に迷い込んだ彼を庭に住まわせたことが始まりだ。木々の間に静かに佇むメブキジカの姿は、まるで彼自身が一つの庭木になったようで、四季の移ろいと共に装いを変える彼の姿はこの庭の景観にとって欠かせないものになっている。私が子どもだった頃には、メブキジカはよく幼い私を背に乗せて庭を駆けてくれた。庭師が整えた庭を踏み荒らさないよう、岩から岩へ飛び移り駆けるメブキジカの蹄が岩肌を打ち、軽快な音を立てた。彼は庭のことを隅々まで知っていて、耳の側で風の音が轟々と鳴るような速度の中でも、彼は一度も身体を庭木の枝に引っ掛けることはなかった。彼の背はいつも朝露に濡れた土と新緑の香りがした。そんなメブキジカもいつしか老い、近頃は動くことも稀になった。若い頃には春になると角に溢れんばかりの花を爛漫と咲かせていたが、老いてからはその数を減らし、大きさも小ぶりになった。しかし、重ねた時は悪い変化ばかりをもたらすものではない。花の数は減っても、均整の取れた形に整い、淡い薄紅に染まった花弁は一本一本の花脈の先に至るまで瑞々しく、以前よりもずっと美しさを増している。その花から匂い立つ仄かに甘く、透き通るような香りが庭先に漂う朝が、この家にとっての春の訪れだ。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。