先週、宇治の「ウトロ平和記念館」に行ってきました。そこでウーマンラッシュアワー村本大輔さんのライブを観てきました(岩田温と友達とかそういうのが引っかかる方は、直接「本人」に言ってください)。
「ウトロ平和記念館に行ってみたい」という想いと「村本大輔の話を直接聴きたい」という想いが同時に叶ってとても嬉しかった。

僕が「村本大輔の話を直接聴きたい」と思ったのは、彼が「書く」タイプではなく「話す」タイプの人だからです。そして何より、僕自身が「直接会う事」の大切さを感じているからです。
もちろん「会ってはいけない人」もいます。「案外いい人だったよ」なタイプは危険だと僕は思っています。その点、村本さんは寄ってきた人にも唾を吐き掛けるので、その心配はないだろうと判断しました(別に彼と仲良くなりたい訳ではないですし)。

会場は「ノーマスク」の人が多かったので不安でした(僕はマスクをし続けました)。村本さんは以前から「自粛」には批判的な態度でした。それは「休業要請されたお店のご主人が自ら命を絶たれた」ニュースを見てそう思う様になった経緯があり、「この人たちの命は守らなくていいのか?」という想いがあるのです。
僕はライブを観て思いましたが、決してコロナを「甘く見ている」訳ではないと思います。
(続く)

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もちろん「異論」はあります。「僕はそれは違うと思いますよ」という事を言う準備もしていました。彼は「あなたはどう思う?」って観客に聞いてくるからです。結局、言う機会は逃したまま終わりましたが😓
ただ、本人なりに配慮はしている様に僕は感じました(それはコロナに限らずです)。

ライブは面白かったです。何をしゃべっていたかは「ネタバレ」になるので言いません(気になる方はライブに行ってください)。僕も周りも「ずっと笑いっぱなしだった」とだけ言っておきます。マイク一本でここまで爆笑させるのは凄い事だと思います。ぼくが「話すタイプの人」だ判断したのは正解だったと思います。「ツイートで伝えられる」人ではないです。

そして、村本さんの行動原理は「思想」ではなく「目の前のお客さんを笑わせる」事というのも「直接会う」事の意義だと思います。「村本さん、私はそうは思いません」ってハッキリ言って大丈夫な場所です。むしろ「俺も同じ考えっすよー」なんて言ったら「唾を吐かれる」のでご注意を。

何にせよ、アメリカに行く前にライブに行けて良かったです。心配していたコロナは症状は出なかった。あの場で爆笑していた人たちも無事であって欲しい。
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ウトロは昔「宇土口(うどぐち)」という地名だったそうです。それが「ウトグチ」とよばれ「ウトロ」になったそうです。

ウトロの中に入った事はありませんでしたが、場所は知っていました。20代の頃は、自動車学校に行く時やバイトに行く時に、ここの道を通ってましたし、作業所で働いていた頃も、現場(施設の清掃や草むしりをしていました)に行く道でもありました。だから「そらでも行ける」自信がありました。

最寄りの駅を降りて歩くと「見慣れた光景」が目に映ります。「懐かしい」と感慨に浸りながら「ウトロ平和記念館」を目指しました。
「迷う訳がない」
そう思って歩いていました。

しかし、道に迷いました。
途中から「全く知らない景色」に変わったのです。不安になって振り返ると、そこには「見慣れた光景」がありました。
真後ろは知ってるのに眼前の光景は「知らない」のです。
「そこに有るはずのものが無い!」
愕然としました。そして悲しみと恐怖を覚えました。僕はライブのお客さんと思われる人を見つけ、後をついて行きました。そして着きました。

「放火事件」の恐ろしさを肌で感じた瞬間でした……。
(続く)

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「記念館に到着したけど、みんな警戒してるのではないか?」
そう思って中に入ると、受付の方が「霜月さんですね、お好きな席にお掛けください」とすんなり通してもらえました。会場も和やかでした。「警戒されているのではないか?」と思った僕がバカみたいに、みんな楽しそうにしていました。

後日Instagramで話されていた事があります。

「ネットの情報」だけで憎悪を膨れ上がらせて凶行に及んだ犯人に対して、一世の方が仰っていた事。

「ここに来て話してくれれば良かったのに」
「一緒に話がしたかった」

「また記念館に行こう」
僕はそう思いました。今度は、この方たちの話が聞きたいです。
(終わり)

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