Colaboを妨害する男たちを見ていて、自分で自分の首を絞めている事に気づかないんだなあと思う。怒りを通り越して「哀れ」とすら思う。
健康な日本人男性という「圧倒的優位な立場」に居ながら、それが少しでも揺らぐ事に怯えて「男性差別をやめろ!」と叫ぶ姿は、余りにも情けない。
自覚の有る無しはともかく、「内心の男らしさ」に固執している気がしてならない。その「男らしさ」とは、かつて中村うさぎ氏が(笑)に付したもののように思う。
一方で、Twitterのアイコンが「美少女キャラ」だったりするのは「予防線」を張っている印象すらある。田◯塾長みたいな「ゴリマッチョ」にはなれないから「隠れマッチョ」になっている印象。まあ、「神官戦士レドマツ」なんか、その最たるもののように思う(『ラブひな』や『AIが止まらない』の主人公の「嫌な成長の仕方」からもそれが窺える)。
子どもの頃からずっと「男らしくない」と言われてきた僕は、この国には「男らしさという呪縛」がある様に思えてならない。最後に(笑)が付くものが。
「男らしさ(笑)」の鎧を脱ぎ捨ててColabo叩きを辞めた方が、男性自身も「生きやすくなる」と思う。