日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(前文)
僕たちが「選挙」を通じて、その権力を「信託」した者が憲法や人権を蔑ろにしていたなら、僕たちは「主権者」として声をあげるべきだし、その様な者に憲法を「信託」した事を反省し、次の選挙に活かさなければならない。
「冷笑系」に鼻で笑われようとも、戦後憲法は「反戦」の根拠として機能している事は、もう一度確認しておこう。
憲法と軍拡。果たして戦争の「抑止力」になるのはどちらか。僕は断固、憲法を支持する。「脳みそお花畑」と嘲笑されようが、「売国奴」と罵倒されようが、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」為には、その道を選んだ方がいいと思う。
自称・右でも左でもない普通の日本人とやらが声高に叫ぶ「反中・嫌韓」こそ、緊張感を増幅させているのではないのか? 欧米コンプレックスを拗らせ、「中国包囲網」などと称して「西側」とばかり連携(従属)するよりも、中国・朝鮮とちゃんと「話す」事の方が大切だと思う。