「男性」というものに痛い目に遭わされた経験がありすぎて、「男性」という要素を持った人を恐れる傾向がある。
もちろんすべての男性が嫌というのではなく、生物的な傾向、分析された先人の記録、その中に類されるものを多く持つ人、それを無責任に振りかざす人が嫌いなのだと思う。
例えばいわゆる「パワハラ」的な発言。
無理やり一般化したり、既に一度考証済みの対策の提案をしてくる、自分の中に答えがないものを根性論ですべて片付けようとする、無駄な報告や相談をさせ遠回りをさせるなど時間の浪費をさせるなどもこれだと感じている。
これをするのは男性に多い、と言い切るのはためらいがあるが、少なくともわたしが暮らし、過ごしてきた生活圏内には、こうした男性が圧倒的に仕事の邪魔をしてきた。
女は、男の目をかいくぐり、時には騙し、のらりくらりとしつつも業績を叩き出さなければならない。
しかし女に苦労してこなかった、とも言わない。
ある種の女性のマウントというのは男性のそれよりずっと激しく、見境がない。
また、とにかく「共感の強要」といった無言の圧力は男性と比べ物にならない。
わたしはあらゆる状況について、ある程度は自業自得だと感じてしまう人間なので、「かわいそう~」と言わされることが大嫌いだ。
あらゆる芸術は感性に則って表されるが、その感性を縛るものは男性であろうと女性であろうと憎しみの対象であり唾棄すべきものだ。
だから人と関わることが最低限にでき、かつ共にいたい人を選ぶことができる今この環境というのは、非常に恵まれていると感じる。