まあおれは推しという概念が割と初期から嫌いなわけですけど

「推し」感覚のもたらす害悪性なんて今こそ問われてしかるべきもんだろうにねえ。
というかそろそろ政党界隈の「推し」概念についても精査したほうがいい雰囲気だろうにねえ(イデオロギーなんかよりよほど目を曇らせそうだ、というか既になってる人多そうだ)。
ああだから拒否したいのか。

政党だけではなく、アクティビストやオピニオンリーダーを「推し」感覚でフォローしていることに対する危うさに自覚的であるかというと多くの場合はそうではないですよね。
なんらかの問題が発生した場合に熱心に擁護するか無視するかのどちらかになりがちで、ちゃんと批判をすればコミュニティから「裏切り行為」とみなされるので。

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昔、土屋賢二氏が「一度ファンになってしまえば、その人がダメだと言うことはその人のファンになってた自分はもっとダメだと言うことになるからやめることはない(大意)」ということを書いてて、今の「推し活」なるものを言い当ててたロジックだったなあと

「推し活」というか「推し」との付き合い方って究極的には自己確認であり(自分が何を目的に存在するのかという意味で)自分との対話だと思うのですが、対象とその周辺の狭い範囲しか見ようとしないところに危うさがついて回るんですよね。

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