@miyarisayu
言葉にし難いけど誰かが語るべきものがたくさんある、というのはその通りよね。現代でもおもしろい仕事をやっている作家はたくさんいる。ぼくもそういう作家たちの仕事に触発されて物を書きたいと思っているよ! でも、いわゆる鉤括弧付きの「コンテンポラリー・アート」にあまり関心が向かなくなっちゃったのも確かなのよねえ。昨日、パレーノ展に行ってきたんだけど、彼のインスタレーションを見て、あらためてそれを再確認したというか。パレーノの作品は入念に作り込まれた洗練されたものだったけど、パレーノみたいに展覧会自体を作品化する(これはいわゆるインスタレーション・アートの現在形で、日本でもこういう作家に注目が集まっている)とか、そういう仕事もいいんだけど、展示と制作が直結していることに危うさと退屈さを感じている。
@miyarisayu 修造笑。飽きちゃっていると言ったのは失言だったかもね。そう思うなら、そして美術批評をやる人間なら、書かなくちゃね。展覧会自体を作品化するタイプのものって展覧会という制度が前提になっていて、作家はその枠組みのなかでつくっているわけだけど、でも芸術って——ここでは歴史的アヴァンギャルドを念頭に置いているけど——そもそもそういうものだっけ、という問いがぼくのなかではあるのよね。
@seki_takanao 分からなくはないけど。ポーラのパレーノは、回顧展的な形式であることも、つまらなさの要因だと思うけどね。
関くんが、美術のお客さんみたいな場所からものを言っているように思えたので、いやいや、あなたはプレイヤーでしょ、諦めんなよ(修造)と思ったのでした