Twitterで「春日権現記絵」に出てくる近侍女房二人の同衾場面についてつぶやいてたんですが、
同性同士の同衾エピソード…といえるか解らないんだけどひとつ思い出した事例があったので以下に続けます。「十訓抄」の平清盛の人格をベタ褒めする箇所です。
十訓抄7-27について
【原文】
十訓抄7-27
(…)かやうの方は、 福原大相國禪門□□□ いみじかりける人なり。をりあしく、 にが/\しき事なれども、其の主(ぬし)の戯と思ひてしつるをば、彼がとぶらひに、をかしからぬ事をもわらい、いかなるあやまりをし、物を打ちちらし、あさましきわざをしたれども、いひがひなしとて、あらき聲をもたてず。冬寒き比(ころ)は、小侍(こさぶらひ)ども、我が衣のすその下にふせて、つとめては、かれらが朝い(朝寝)したれば、やをらぬけ出てて、思ふばかりねさせけり。召仕(めしつかひ)にもおよばぬ末のものなれども、それがかたざまのものの見る所にては、ひとかずなる由をもてなし給ひければ、いみじき面目にて、心にしみてうれしと思ひけり。かやうの情(なさけ)にて、ありとあるたぐひ思ひ付きけり。人の心を感ぜしむとは、これなり。
(NDL)
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十訓抄7-27について(2)
十訓抄は道徳本みたいなもんで、こんな偉い人がいたので見習うべし、というのでかなり盛る傾向もあると思われるが、とりあえずこういう逸話が伝わっていてこの人物はそう見られることがあった、というくらいの参考にはなると思う。
ざっと訳、
清盛は鷹揚で、誰かが悪ふざけをしたり可笑しくもない冗談を言ったり物を倒して暴れるようなことがあっても、大声を出して叱責するようなことはなかった。
冬の寒い頃、小侍達を自分の衣(※当時は上着を掛け布団代わりにしていた。夜着。)の裾に入らせて寝かせ、翌朝、彼等が寝坊をしても、自分はそっと抜け出て起きるまで眠らせておいた。
身近に召し使うようなこともない末端の者であっても、他人が見ているところでは一人前の扱いをなされたので、彼等は名誉に思い心から嬉しく思った。
このような心配りを様々なところへ行き渡らせていた。人の心を感動させるとはこのようなことだろう。
と、この「我が衣のすその下にふせて」が、同衾というか、雑魚寝でひとつ布団を使っていたということになるんだろうけど、解釈が分かれていて、
十訓抄7-27について(4)
その時代にはいい話なんだろうけど、上司と同僚と同じ毛布分け合って寝るのきついな~~~
プライベートスペース欲しいな~~~~
でも、ほんとに、空間を占有するっていうことはステイタスだったんだと思う。
「宮」「院」「殿」とか、「○○の方」とか、建築物のことをさす名称を敬称として転用するのは、そこの主として広い土地を所有する人、というのが敬意を持たれていたからなんじゃないかなあ。
「御曹司」も一部屋与えられているご令息、という意味だしね。
京の都だと、土地の絶対量が限られて来るし。時代によってどこが一等地かも変わってくるけど、狭い都で広大な邸宅を構えているというのはかなりの威勢があるってことなんだよな。