『川上貞奴の企画展を各務原中央図書館に見に行った。市内に晩年の貞奴が建立した寺と参詣のための別荘がある。その貞照寺蔵の八霊験図のパネル展示もあり、アシカに襲われて不動明王の加護で難を逃れた話のインパクトが強烈だった。確かにニホンアシカ昔は本州に結構居たとは聞いてたが貞奴がアシカに。』
ニホンアシカ、脂や皮のために狩られて明治時代には絶滅してしまうのだが……それだけ当時の日本人に産業的な恩恵をもたらし、関わりがあったからこういう逸話も残っているのかな。
歴史に残した最後の光芒だったのかもしれない。
そう思うとせつないし怪獣呼ばわりとかアシカにクソ失礼だなと思う
川上貞奴は福沢諭吉の息子桃介の愛人で、桃介は当時木曽川の水力発電開発などを行っており、貞奴もそれを後押ししていた。
もしかしたら、近代化と環境破壊(という概念は当時なかっただろうけど)の申し子というイメージがあったのかも