この季節は家に着く頃はとっぷり日が暮れていて、頬に当たる木枯らしが痛い。空を見れば西にオリオン座が傾いていて、こんな氷の中のような寒さの中でも季節は春に向かっていると教えてくれる。
駐車場からがらんどうの我が家に帰るまでの道は空気が澄んでいて、張り詰めた世界に白い息がきまぐれに跡を残していく。冬は好きだ、雪がすべてを白に染め上げる様子が見られるし、二年参りに行くと神社が盛大にたき火をしていて、そのパチパチとはぜる木の音を聞きながら自分の髪を炭の香りに染めるのも寒い季節の醍醐味だ。なによりあの神社は御神酒に使っている酒もうまいし。
はぁ、と子供のようにわざと大きく息を吐いたりしながら歩きながら、後藤は明日の予定を確認した。今週いっぱいは第二小隊が待機、しのぶは明日は本庁に直行して午後に二課に来る。それから明日は……。
あ、と後藤は小さく声を上げた。そうだ、明日だ。
教えてもらったわけではない、たまたま知っている明日という日の出来事。数年前から、後藤の中でほんの少しだけ特別な一日。
後藤はくるりと向きを変えた。近所のぺりかんカフェならば、まだ美味いケーキが残っているはずだ。

次の日の東京も快晴で、この隊長室からも富士山は見えないが木更津なら見えそうだ。今日の空も冬らしく淡く高く、そしてきりりと潔い。
初めて会ったときのしのぶの印象は四角四面のお堅い女性警官だったが、いまは冬の空のようだと思う。澄んでいて、凜としていて、そして後藤にひやりと厳しい。彼女のまっすぐな潔癖さと、現実と責任の意味を知る強さは、後藤にとってまぶしく、そして信頼に値する。心の中では相棒とまで思っている、なんて口にはとても出せないけれど。
時刻はもうすぐ一時すぎ。もうそろそろかな、と思ったそのとき、ガチャリとドアが開いた。
しのぶはまずため息をついて、次に大きく伸びをして、そのまま首をこきこきと鳴らす、今日の会議もろくなものでなかったらしい。なんなら後藤が代わりに行ってもいいのだが、一度相手を追い詰めるようにして見事武勲を立ててみせたら、しのぶの「これ以上本庁と摩擦が増えても困るのよ」という判断のもと、主に彼女が行くことになっているのだ。後藤に言わせると、あのときはあまりに無駄な会議があれ以上長引かないように、必要なことをしただけのつもりだったのだが。

とにかくそんなわけで今日も本庁で骨を折ってきたしのぶに、後藤は努めていつも通りの声を出した。
「おかえり、お疲れ様」
「本当、今日は疲れたわ。あの人たちときたら、毎回現場の要求を潰そうとしてなにがしたいのかしら」
「上なんて現場の合理化と現場切り捨ての違いもわからないやつらだからね」
後藤は言いながらひょっとたち上がる。
「しのぶさん、コーヒー飲む?」
「ありがとう、いただくわ」
「あとさ、茶請けもあるから持ってくるわ」
「茶請け?」
「そ。昨日近所の店通りかかったら、まだ売れ残ってるやつがあったから買ってきたの。モンブラン食べるでしょ?」
「あら、モンブランなんて素敵ね。それにしてもあなたがケーキなんて珍しいこと」
「ま、今日の会議の労いと思ってよ」
言いながらコーヒーメーカーをセットして、じゃ、持ってくるわと後藤は隊長室を出た。
冷え冷えとした廊下を給湯室へと歩きながら、後藤はため息をついた。
ぺりかんカフェのモンブランは絶品で、いつかはしのぶに食べて欲しいと思っていた。黄色い満月のような栗のグラッセに、絞り出されたペーストのなめらかさ。スポンジとクリームは甘さ控えめで

上の栗のグラッセの甘さとよい対比になっている。口に入れるとしっとりとしていて、昔ながらの懐かしい味がする。きっとしのぶの口にも合うに違いない。
でもモンブランは、あくまで会議の労いだ。去年は出動していたしのぶに少しの暖になればと言いながらあんまんを、おととしはなんだっけ、姪っ子に押しつけられた、と小さな嘘をついて品川で買ったプリンを。
ただの同僚のおじさんは、こんな風に毎年なにか理由を付けないと、この日になにかをあげられない。
ああ、いつかは、素直にしのぶさん誕生日おめでとうと言いながら、イチゴのショートケーキを渡せればいいのにな。

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@runco_a かなさんの文章は、水彩紙に水をたっぷり含ませた筆で描いたグラデーションみたいに心地よくて好きです。
意味不明な表現すみません💦私がそういう水彩の表現好きなのでつい気持ちいいなぁと💦

わあ、素敵な表現をいただいてしまった、ありがとうございます!
水彩みたいな感じのものなのならなんかとてもうれしいです!
ひろさんの喩えはいつもきらきらしていて、物事を美しく見ているんだなあっていつも思います

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