そうか、なるほど。
NHKのドラマ10『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』第1話、録画したままだったのをいま観ました。障害者(ダウン症)の弟を持つ七実が主人公だけど、不可視化されてきた、障害者の家族、片親(パパが早逝)そしてママが大動脈乖離で手術になり。と外から見たらめちゃ不幸やん、気を使わないといけない存在やと思わせる。でも家族は仲良く平和で、不幸でもなんでもない。このドラマを観ていて気づいた。
そうか、わたしは周りにトランスジェンダーと大っぴらにいうようになって、それは自由で、家族がいなくなったからなのですが。
周りは車いすになったし、トランスジェンダーと公言するようになったし、不幸に見えていて、気遣いしないといけない存在になったと。
なので、以前から知っている友人はトランスだということを否定するし。
(否定されてもトランスジェンダーは自己判断、自称すればトランスなのだが)
何かネット、SNSに感化されておかしくなったように感じているのかもしれないな。そうすると、GCの笙野頼子などのいうことが正しいように思えてしまう、のかもしれない。
たとえそうだとしても、公言するものではないと。
小中学の同期など、◯◯はトランスじゃない、と説得しにかかる。
正常に戻れと。不幸だからと言うこと。