おばさんの思い出 長文(弔文)
おばさんはわたしをドライブによく連れて行ってくれたが、ふたりになると、車の速度計がキンコンキンコン音を立てた
時速120kmで田舎道を走っていた
わたしは、本当は、そんなのイヤだった
でも黙っていた
おばさんの車は、魚が腐った匂いがした
今でもありありと思い出せる
じいちゃん(=おばさんにとっての義理の父)が水産加工業をやっていたから、鮭とかホタテとか、海産物の汁がトヨタの頑丈な車の車体に芯から染み付いていた
おばさんはわたしより身体が小さい
ある日おばさんは足を骨折した
休ませてください、とおばさんは訴えたのに、ばあちゃんは車が運転できないから、骨折の痛みに耐えてじいちゃんを送迎したと言う
おばさんは泣いていた
わたしも泣いた
おばさんの思い出 長文(弔文)
北海道の夏休みは本州よりは少し短い
夏休み、おばさんのいるお家に行くのは楽しかった
自分が住んでいるところよりも都会だったからだ
だって、わたしが行っている学校は全校生徒が5人しかいないんだもん……
テレ東が映らないどころではない
フジテレビすら、まともに映らない
おばさんは優しかった
いつもお小遣いをくれて、徒歩10分の雑貨屋に行ってアイスを買っておいで、と言ってくれた
ある日、わたしはアイスを食べながら
「こんな風なら、ずっとここに住んでいたいな〜」
って言った
おばさんは、真顔になって、本当に?って言ったのでその迫力で、自分がやばい事を言ったと分かった