タイトルに聞き覚えあっても何のエピソードも浮かんでこない
QT: fedibird.com/@rolling_riceball
[参照]

白米(ななひかり)  
「少年の日の思い出」のエーミールみたいなこと言うてるやん QT: https://fedibird.com/@AB77ko/112206714571727027 [参照]

まあ今から書く話は嘘なんですけど、主人公の「ぼく」がクジャクヤママユという蛾を追い求めている間に異世界に転生してラップバトルで海賊王になる話です。エーミールはそれを阻む邪智暴虐の王。親友のごんぎつねを人質にとります。そこで訪れるピンチをルロイ修道士に救われ、主人公「ぼく」は自身がサイヤ人であることを知らされます。

(実際は、エーミールという模範少年、優等生のクジャクヤママユという蛾を盗んだ挙げ句破壊した「ぼく」による自白に対し、エーミールが「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな」と言い放つシーンから。今考えると色んな解釈ができるけど、とくに考えなしにぼくは言いました。)

「ぼく」とされる主人公に対して言った言葉です

「ぼく」と「エーミール」は別の人です。「ぼく」→蛾を盗んだ人、「エーミール」→蛾を盗まれた人

「ぼく」盗人じゃんか。なんで蛾なんか盗んだんだろう


「ぼく」とエーミールはどちらも蛾の(標本の)収集が趣味で、クジャクヤママユは貴重な蛾で「ぼく」にとっては凄まじく魅力的やったみたいな記憶があります。はじめは一目見るつもりでエーミール宅に侵入し、その後持ち帰ろうとしてしまう。
「欲望」は無限、「まだ満たされていない」ことそれ自体であり、定義上満たされ尽くすことはないのに、具体的対象を「これが欲望を満たしてくれるはず」と誤って欲してしまう(からそれまでは「一目見」ることで満足すると思われていたが実際にそれを行った後にはそれより「もっともっと」となり盗みたくなる)普遍的(?)心理によって"ある程度"は説明できるかなと思います。


それは「ぼく」にとって欲望の対象が蛾であることの理由を聞いてるのか、作者のヘルマンヘッセが期待したと解される効果の内容を聞いてるのか。
前者なら蝶コレクターにとってはチョウもガも同じなんちゃいますか。

なな子さんがどう考えてはるんか、あるいはなぜそこが気になるのか、それをなせ僕に聞くのかのほうがワタクシ興味ありますね。

蝶々と蛾の違いは、止まっているときに羽が静止するのが蝶で、羽がパタパタ動くのが蛾だったような気がするんだ。でも普通にさ蝶の方が綺麗だよね。何で蛾なんだろうね。翻訳した人のセンスなのかしらね。
ヘルマンヘッセさんが元々は「蝶」って書いたのに翻訳者が「蛾」って訳したのかなぁ。とかも考えました。
じゃあ、なんで、蝶じゃなくて蛾なんだろうか。とか、エーミールの持ってた虫(名前忘れた)が超キレイな蛾でどうしてもそいつを作品に採用したかったから、本来、蝶のコレクターという設定の方が違和感が少ないけど、蛾のコレクターにしちゃったのかなぁとか。
「なんで蝶々じゃなくて蛾なんだよ」って普通にみんな普通に疑問に思う箇所だと思っていました。
なんでこのことをおにぎりに聞いているのかというと、この話し相手がおにぎりだからだとおもいます :blobcatpuffyshy:

蝶々のコレクターは蛾もコレクションするものでしょうか。
カブトムシのコレクターはクワガタムシもコレクションしてそうですが、ついでにコガネムシもコレクションしてそうです。

エーミールとぼくを虫オールジャンルコレクターではなく、あえて「蛾を集めている」とするなら、やはり、「蛾」だけをコレクションしているように思えるのです。

わりと真剣に考えてはった……失礼しました。
「チョウもガも標本にするにあたっては羽を拡げた状態で保存する(それゆえチョウとガが生きて留まっているときの羽の状態による区別を採用する必要はコレクターにとってはない)」こと、ドイツではチョウとガを総称する「Schmetterling」という語が存在し、両者を区別するのは特別な文脈が必要なときに限られると考えられること、「ぼく」たちはチョウも収集していることを鑑みると、「チョウではない」ことの意義をそこまで重く見積もる必要はなさそうです。
ただし、翻訳における問題については、僕自身が原典及び翻訳書にあたったわけではないのですが、おそらく僕のなな子さんに対する説明における不備ゆえの疑問だったかなと思います。重ねて失礼しました。

おもしろい。疑問の背景聞いてみてよかったです。真摯にお答えいただきありがとうございます。

蝶と蛾を区別しないんですねドイツのひと。お答えいただきありがとうございました。

ぼくが盗んだ蛾は「ぼくにだけ美しいとおもえる蛾」で「エーミールにとっては特別なコレクションではなかったのかもしれない」とか。
もしくは、ぼくにもエーミールにとっても美しいと感じられる特別な蛾だったのか。とかも考えたりしました。

蛾っていうブス(蝶々と比べて蛾の紋様等は華やかでない)をコレクションしているなかで正統派の美人を見つけてよろこんだのか。

或いは「俺だけにしかわからない良いブス」を見つけてぼくはよろこんだのかとかです。

改めてあらすじ確認してきました。
エーミールとぼくは、ともに同年代の子どもよろしく、蝶(蛾)のコレクションをしています。
しかし、エーミールとぼくとでは蝶を評価する視座が異なることも描かれます。エーミールが標本化の技術や、いわゆる「蝶」としての完全性(足が欠けていないなど)を評価の主軸とするのに対し、ぼくは捕獲の喜びやその蝶個体それ自体の有り様を自身の感性で評価します(ぼくがコムラサキをエーミールに見せた際にこのような描かれ方がされています)。ぼくのコレクションは、基本的には妹にしか見せていなかったにもかかわらず、コムラサキに関してのみエーミールに見せることにしました。
エーミールは「誰しもが良いと思うかどうか」を基準に自身も評価するのに対し、ぼくは自身が良いと思うかどうかを基準にし、「誰しも」的な第三者の評価をそこまで意識していなかった。端的に言えば、エーミールは交換可能なものとしての「相場」的価値を見いだす(それは他者と評価の基準をある程度共有していることを前提とします)のに対し、ぼくは自分にとっての「まさにこれ」的価値を見出だす。ただし、ぼくは、エーミール的価値観との間でゆらぎを見せます。

ぼくのクジャクヤママユへの欲望は、「俺だけにしか……」的なものだったかと考えています。

エーミールについては、クジャクヤママユを「孵化」させて育てていることを考えると、愛着的な、「まさにこの個体」の価値を一部認めていても不自然ではないように思われますが、どちらかといえば「数あるものの一つ」的見方をしていたと思われます。

また、「収集」それ自体が、「収集の対象となるカテゴリーに属する要素であること」に価値を見いだすある種倒錯的なものとおにぎりは捉えている(要素であることが、その要素に該当する実際的なモノの在り方に先行して価値を与える、極めて観念的なものでしょう)ので、以上の「俺解釈」よりもっと複雑な読みも十分にありうると思われます。

やはり、エーミールは正統派美人が好きなタイプで、ぼくはブス専なんだ、、、、。大人向け動画の好きな女優のタイプが違う話に近い!!!!!

よくわからんけどなな子さんのなかで納得がいったんやったらええか……

なんでわからんのや!!!!正統派美人を飼育して完璧な個体を手に入れようとしているエーミール(変態)と、エーミールの失敗作に惚れたぼく(変態)の話やないか!!!!

なんとなくわかった!
源氏物語みたいやな……「小紫」的立ち位置に「コムラサキ」じゃなくて「クジャクヤママユ」があるのがおもしろい。

クジャクヤママユをググってきたんすけど、おもってたんと違ってシブいッスね…。

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「ぼく」たちの環境における希少価値(見たことのある、他のチョウとはちょっと違う)ことが「美しさ」の判断に影響した(錯覚だが欲望を満たす対象として現れた)のか、あるいは、「ぼく」の感性がそうしたノイズの影響を受けずにクジャクヤママユを美しいとしたのかは疑問が残るところですね。
言い換えれば、クジャクヤママユをコレクターとして、種の希少性でみたのか、それとも一個の生物としてクジャクヤママユを美のかたちとしてみた(「シブい」ことを美とそのまま美と感じるのがぼくだった)のか。
「少年」であるが大人との過渡期にある「ぼく」自身がこの二つの間で揺れ動いていたような気がしています。

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