澤村伊智『などらきの首』読了。 短編「学校は死の匂い」のややネタバレ感想
「学校は死の匂い」
作中でも説明のあったリアルな危険の話だけではなく、学校という場のもやっとした閉塞感が、このタイトルにはよく表れていると思う。
私は運動会が雨天中止になってほしいタイプの小学生だった。幸い組体操はなかったのだが、大縄などが苦手だった。自分比では頑張っていても、自分のせいでクラスの記録がストップしたりする。それがいやで、自宅で大縄を買ってもらって練習までしたのだが(変に真面目)、残念ながらやはり下手なままだった。
小学校というのは、組体操にせよ大縄にせよ、どうして個人の失敗が悪目立ちするような集団競技をやらせたがるのだろうか。どうせなら、揃ってなくても団体でなくても、うまい人の方が目立てる競技にすればいいのに。
小学生の頃からそんな風に考えがちだったせいかどうか、私は「一致団結」などと言われるとつい反射的に身構える性格になり、今に至る。
…などと思いながら読んだので、この短編では白い彼女に対して妙に感情移入してしまった。「好きに死になよ」という言葉を受けてか、最後はブラックな終わり方になるが、ここでもついブラックな側に共感してしまい、いや共感しちゃいかんだろう、と自らに突っ込みを入れることに。
#読書
同じく短編「などらきの首」のネタバレ感想
「などらきの首」
短編ながらまとまっていて、二転三転する展開は一気読みできる面白さ、怖さだった。
読んでいる途中で、幼い頃に読んだ昔話を思い出した。鬼がおばあさんに化けて渡辺綱のところを訪ねてきて、以前に渡辺綱に切られた自分の腕を取り返してしまう昔話。
おかげで、そこからは「うしろうしろ!」とでもいうような気持ちで野崎たちの言動を読む羽目に。「下宿ってどこやったっけ?」という素朴な質問にはゾッとした。
怪異も万能なわけではなく、情報が渡ってはじめて襲われるあたりが、かえってリアルさにつながる気がする。「住人が導き入れないと入れない」とか「答えなければ知られない」といったお話はいろいろあるように思うが(このシリーズ最初の「ぼぎわん」もそういう側面があった)、怪異を呼び込むのはやはり人間だということにつながるのかな…。
#読書