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辻村深月『傲慢と善良』

序盤は男性主人公に対する違和感が強かった。「こんな人は現実にはいない」という意味ではなく、「本当にこんな人がいそう、悪気はないのだろうが私は馴染めない」という意味で、人物像はリアルだと思ったのだ。物語上の出来事だけでなく、婚約者を「この子」と呼ぶことなども、些細な点でも象徴的であるように感じた。「この子」は30代成人に対して使う呼称だろうか。そのせいか、傲慢だったと自分を振り返るシーンでは、そうだそうだと溜飲を下げる気持ちに一瞬なってしまった。

しかし読み進めて、そういうことではなかったと思うようになった。たまたま彼の一面も一例であっただけ。他の登場人物を追っていくと、あちこちに「傲慢」な側面が浮き彫りになる。その心情描写には、自分も含め誰しもどこかは重なるのではと思う。しかも、そういった面が物語中で特に変わるわけでもなく、普通にそのままであろう人物が多いのもリアル。実際の人間だってそうそう変わらないし、その中で皆生きている。その意味では、上述の主人公はむしろ、自分を振り返って一歩進むことができたのだ。

善良でありたいと思っていたのに知らず知らずのうちに傲慢側にいる、そんなことを皆繰り返しているのではないか。自分も時々振り返って考えたいと思わせてくれる本だった。

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