フュリオサ二回目見てきて思ったけど、もともとマッドマックスは伝説、神話の体裁だけど、フュリオサはそのなかでも特に「ヒストリーマンの語り」が強調されてて、これ事実じゃないところもあるんじゃないかなって思った。最後はほぼそういう体だし、イモータン・ジョーの手から逃げてウォーボーイズに混ざるくだり辺りとかも創作として見えるようにも作られているのかも。流浪のヒーローであるマックスと違ってフュリオサはあの地の権力者になったと思われるので、伝説、神話として語られる過程にフュリオサ自身の意志が入っていて、フュリオサにとって本当に屈辱的な部分は語られていない可能性があるんじゃないのか。
パンフレットでも「起きた出来事というより魂に何が起きたかを書いた物語」って監督が言ってるし(まあ15年間のダイジェストみたいな映画だからそのことを言ってるのかもだけど)
しかし、それはそれとして、これ二回目の方が絶対入ってくる映画だろうなと確信してリピったけど、入ってくるどころかほぼ初見感覚で夢中で見ちゃって我ながらビックリでした。「え、私、一回目何を見てた???二回目でしたよね???」ってなった笑
多分一回目は思ってたんと違うものが出てきてアタマが全然追いつかないまま終わったんだと思われる
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