僕の知り合いにカリスマ派の影響をもろに受けた人がいたのですが、その方がどう聞いてもクイア差別になることを神がそうしているとして正当化した上で僕に泣きついてきたことがありました。僕としては本当に悲しく、またイエスだの、愛だのといいながら一切人への愛のない知人に失望したことを今でも思い出します。当然「差別じゃない、区別だ」という、差別者がよく宣うことを言ってきました。僕の中で彼との関係はここで潰えているのですが、虚しさと、彼自身、そして彼をめちゃくちゃにしたカリスマ派や福音派のキリスト教、そして彼を指導したすべての牧師に怒りしかありません。その一方で、僕はどうしたら良かったのだろうかとも感じます。幸いキリスト教の世界は狭いので、彼を叱ってくれる人、怒りを関係した人に伝えてくれる人は結構いるのですが、それでも止められないことに、キリスト教徒の差別の根深さを感じさせられます。僕もクリスチャンですが、その現実がすごく悲しいです。イエス様、こんな現実絶対喜ばないですよ。それに、現代を生きるクリスチャンは現代を生きるイエス様を殺害して、また十字架にかけるでしょうね。空しい信仰だなぁ…