『HHhH─プラハ、1942年』(ローラン・ビネ 著 高橋啓 訳/創元文芸文庫)
フォロイーさんのお勧めで贈っていただき、また近ごろの色々もありすべて読み通した。久しぶりにどっぷりと読書に浸ったと思う。この本を読めてよかった。シンプルに「面白かった」。記される歴史的事実の羅列に、心臓を鷲掴みにされたようだ。物語的でいて物語ではない。しかし「物語」にも向き合っている。良書だった。
これまであらゆる引用をもちいてきたが、最後に共感したこと、本書解説に意を得たり、となったのでそれで〆させてもらう。
>過去に起こった(とされる)一連の出来事、すなわち「歴史」を書こうとすることは、必然的かつ不可避的に「物語」を書くことになってしまう。どれほど時間と労力を費やしたとしても、或る歴史的事象を十全に描き切ることなど不可能であり、そこには必ず意識的、無意識的な虚構化、フィクション化、物語化が紛れ込んでしまう。この意味で、すべての「歴史小説」は、どんなにリアリティが、真実味があったとしても、結局のところは作りものとしての「物語」であることから逃れられない。となるとむしろ問題は、ならば歴史小説の作者は、如何にしてそれを書くことを、そのような蛮行(?)を自分に許すことが出来るのか、ということになるだろう。>(中略)>しかし「僕」は、この難儀に全力で挑戦しようとする。本作がすこぶるユニークなのは、いわば「ハイドリヒ暗殺を小説化しようとすること」を小説化してみせた点にある。(『HHhH』解説 佐々木敦/458P)
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これまであらゆる引用をもちいてきたが、最後に共感したこと、本書解説に意を得たり、となったのでそれで〆させてもらう。
>過去に起こった(とされる)一連の出来事、すなわち「歴史」を書こうとすることは、必然的かつ不可避的に「物語」を書くことになってしまう。どれほど時間と労力を費やしたとしても、或る歴史的事象を十全に描き切ることなど不可能であり、そこには必ず意識的、無意識的な虚構化、フィクション化、物語化が紛れ込んでしまう。この意味で、すべての「歴史小説」は、どんなにリアリティが、真実味があったとしても、結局のところは作りものとしての「物語」であることから逃れられない。となるとむしろ問題は、ならば歴史小説の作者は、如何にしてそれを書くことを、そのような蛮行(?)を自分に許すことが出来るのか、ということになるだろう。
>(中略)
>しかし「僕」は、この難儀に全力で挑戦しようとする。本作がすこぶるユニークなのは、いわば「ハイドリヒ暗殺を小説化しようとすること」を小説化してみせた点にある。
(『HHhH』解説 佐々木敦/458P)