Goさんにいただいたコメントによって、短文投稿という形式とアウトライナーの関係性について自分の中にちょっと解釈が生まれた感じがする。
もしやツイ廃(Twitterに居続けて無限にツイートできる人)はアウトライナーに馴染むのにやや時間がかかるのではないか。(サンプルが数例しかないのでわからないけど)
良さを発見するまでにちょっとタイムラグがあるというか。「ああ、なるほどね」になるまでにちょっとある。
ツイートとアウトライナーの項目は粒度として似ているけど違うところがあり、その「似ているけど違う」感を的確に掴むのは結構難しい気がする。
思考の最小単位がツイートサイズなのは多分アウトライナー的には大き過ぎるんだけど、頭の中に当たり前にツイートサイズでブロックを作ってしまうので、そこからアウトライナー的なサイズ感になっていくのに慣れがいるというか。
ましてや単語やフレーズごとに改行するなんて思いもよらないことで、Tak.さんのお話を見て仰天したものですが、ツイ廃脳だとアウトラインというのはいきなりブロックとして作ってしまうものに後から切れ目を入れる作業を経て生まれるものだから「良さ」の発見まで遠回りすることになるのかもしれない。
いきなりブロックとして作らない、というスタイルに転換する過程が必要。
思考を「固体の集合体」から「大きな流体」にすることでもあるのかもしれない。