めちゃくちゃ大雑把にいって、俳句革新運動って、俳句全体に影響を及ぼすというか、俳句のこれまでとこれからを分けるものだったわけです。
そういう意味では、社会性俳句も前衛俳句も文学ムーブメントではあったけど、俳句の革新ではなかった。新しい俳句と認められるものと、古くなって俳句ではないとされるものを分ける基準を作り、考え方の転換を迫ることこそが俳句革新運動の本質だと思うわけです。子規の写生もそう、虚子の有季定型も、新興俳句運動の無季もそう。
で、現在、その俳句革新運動の一番新しいやつが静かに急速に広がりつつあるのでは?という考えをいろいろな例をあげて試してみた。そしたら私は葬られる側だった。

そのオチに至るのおもしろいですね。なんでなのか気になります。今って、大体「あり」になっていくのかと思ってました。

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三年くらい言葉にならずにあたためてたネタやねん

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