「政治」に対する期待がゼロという状態と、災害対応はボランティアが基本という状態と自己責任論が根付いた結果、災害対応を政府の「仕事」として、先進他国並みの水準を求める人が「異端」になり、そして、政府の「施し」を待ち、それに文句を言わないことが普通になってしまったように思う。
政府の「施し」をありがたく受け、文句を言わない状況。そこにはみんな我慢しているのにという意識や、政府に「文句」を言う「異端者」を白眼視するそういう心理が国全体に蔓延しているように思う。
政府が国民のための仕事をしなくなって二十年余り、当の国民がそれを当然のことと認めて慣れてしまったため、災害時の政府の行動の遅れや、国民福祉に反するような増税、倫理に悖る行いや法令違反が政権にとって致命的なダメージになりにくい。そういう構造にすでになってしまっている。
その中にあって、つまり「民主政府」という概念が理解できない社会に対して、民主政府としての責務や仕事を説くことは、この国の人々にとってワケのわからないことを言って、気に食わない、癇に障る、わがままを言う、災害に乗じて「関係ない」政権批判(彼らにとってそれはよくないことだとされている)をする、というふうに被災地のことを考えていない行動に映ってしまう。
だからこれは人の多い「X」では言わない。
自主トーンポリシングのような形になってしまうのは非常にやるせないが、互換性がない言葉をいくら強く発してもどうしようもないところはやはり一面ではあって、例えば「政府はとてもよくやってくれてるけど」のような枕詞をつけたり、「基本的には自助が大切なのは言うまでもないが」というポージングをしてからグラデーションをかけたりしたら少しは通じないだろうか。だめかな。