リチャード三世ちゃん 

現代日本に異世界転生し、何故か兄のエドワード4世と地下アイドルデビューする事になってしまった。
先にアイドルをしていた兄に誘われる形で、あれよあれよとアイドルデビュー。
身長は兄より小柄(と言っても170cmある。兄のエドワードが些か大きすぎるとも言える)で、体も細いが身体能力は高いためアイドル活動に支障はない様子。
性格はクールで、ファンに対し兄のような情熱的な対応はしないが、それでも心が籠った誠実な対応で1人1人真摯にじっくり向き合うため、ジワジワ人気上昇中。
たまに見せるはにかんだような笑顔がたまらないと専らの評判である。
あるライブの日、客の中に見覚えのある顔を見つけ心臓が止まりそうになる。
見間違いだ。あの男がこんな所に居るはずがない。この国には自分のような外国人も多く居る、他人の空似だ……
アイドルの仕事が終わって家に帰ったリチャードは、自分に言い聞かせつつ、あの最期の戦い──
ボズワースで見た、ヘンリー・テューダーの顔を思い出していた。

リチャード三世ちゃん①〜②話目 

それからリチャードは警戒して過ごしていたが、あれ以来男の姿はなく、今まで通りと変わらず異世界生活を送っていた。
死亡後にいきなり時代も国も違う場所に飛ばされる事など、そうそうあり得ない。現に自分と兄以外、あの時代の人間を見た事はない。やはり似た他人だったのだ。
そう思い安心しきっていたある日の握手会(地下アイドルでニッチなポジションのため規模はごくささやかだ)。あの男…ヘンリー・テューダーに瓜二つの男が握手の列に並んでいるのが見えた。目の前がぐにゃりと歪み、周囲の音が遠く聞こえる。気絶してしまいそうだった。
どういうつもりだ?私と握手をしに来たのか?それともこの格好と今の境遇を笑いに来たのか。他のファンもいるから大騒ぎはしないが、もし変な動きをしたら鼻っ柱に拳をお見舞いしてやる。そんな事を考えながら警戒心を最大まで高める。
いよいよあの男が自分の前に立つ。相変わらず何を考えているのか分からないような表情で、しばらくもじもじと俯いていたが、少し照れたように微笑みながらリチャードに手を差し出してこう言った。
「初めまして。僕はヘンリーと言います」

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リチャード三世ちゃん①〜③話目 

彼はこの群衆の中一際目立つ存在だった。そもそもこんな集まりに日本人以外が来るのは珍しいのだが、それを抜きにしても明らかに存在が浮いている。穏やかながらも人を寄せ付けないような雰囲気。口はいつも口角が上がっていて、常に微笑んでいるように見える。イケメンというより"整った顔立ち"という表現がしっくり来る。
そのヘンリー・テューダー…後のヘンリー7世が、リチャードの前に居た。
「何を言っている?」
差し伸べられた彼の手がだらんと下がり、不安そうな表情になる。
「あの、何か失礼な事をしたでしょうか…?」
「忘れたとでも言うのか! 貴様は」
「な、何の事でしょう」
握手をするわけでもなく何やら揉めている2人の間にスタッフが割って入り言った。
「そろそろ時間です」
それを聞いたリチャードは咄嗟にヘンリーの手をガッと掴んで握る。今度は逃がさんとばかりに力強く。
「ヘンリー。また私の元に来い。貴様の話をもっと聞かせろ」
「えっ、は、はい…」
リチャードは、頭の上にはてなマークを浮かべつつ帰っていくヘンリーの後ろ姿を、眉間に皺を寄せた"元イングランド王の顔"をして見送った。

リチャード三世ちゃん①〜④話目 

リッチモンド伯ヘンリー・テューダー。後のテューダー朝の始祖ヘンリー7世となる男。
由緒ある血統を継ぐリチャードはヘンリーの事を侮蔑を込めてテューダーの私生児と呼んでいた。王家の血こそ継いでいるものの傍系で、薄弱な王位継承権しか持たない。
そんな男が継承権を主張してきた時は憤慨した。大人しくフランスに引っ込んでいれば良いものを、私生児風情がよくも図々しく名乗り出たものだ。王への侮蔑にも値するとさえ言った。
そんなテューダーの私生児と罵った男に打ち破られた事実は、現代日本に異世界転生した今でもたまにリチャードを苛んだ。
ボズワースの戦いにて、不利な戦況を覆そうと命運を賭けヘンリーに一騎打ちをかけたが、忌々しいフランス傭兵が彼を守り、自分は討ち取られたのである。
あの時負った傷はどういうわけか転生時には見当たらなくなっていたが、致命傷となったであろう頚椎への一撃は忘れ難いものであり、考え事をする時には無意識にそこに触る事があった。
「またお会いしに来ました」
恥ずかしそうにそう言うヘンリーを見て、リチャードは、ざわつく心を鎮めるように自分の首の付け根を触った。

リチャード三世ちゃん①〜⑤話目 

「前回は驚きました。でも、また来いと言ってくれて嬉しかった」
そう言って少々照れつつすっと手を差し出してくるヘンリー。様子を観察したがどうやら罠ではないらしい。しかし某書で"冬の王"と呼ばれていたこいつの事だ、どんな謀略があるか分からない。
リチャードは警戒心を緩める事なく彼の手を握り、こう聞いた。
「この間来た時に初めましてと言ったな。なんの冗談だ」
「冗談なんて、そんな。だって、あの時僕はあなたと会ったのは初めてでしたから。友人に連れてこられたライブであなたを見て、何故かすごく惹かれたんです」
「なんだと?」
リチャードの言葉を怒りと取ったのか、ヘンリーは少し焦り、それでも落ち着いた様子で謝罪をした。
「いきなりこんな事を話すなんて、失礼ですよね。すみません」
「違う。そうではない。本当に私を覚えていないのか」
リチャードの脳裏にあるひとつの考えが過ぎった。
「えっ…何処かでお会いしたでしょうか?」
その言葉を聞いたリチャードは先程浮かんだ考えを確信に変えた。
こいつは、あの血腥い戦争の記憶を、なくしている。

リチャード三世ちゃん①〜⑥話目 

アイドルは、あるファンだけを贔屓してコミュニケーションを取る事はご法度だ。
リチャードは自身が王であった頃、民に対しての振る舞い方を思い出していた。
ヘンリーは平民よりはいくらか高貴な血統ではあるが、他のファンに混ざり握手会に来ている以上、皆と同じように扱わねばならない。それがアイドルとしての役目である。
そういう理由から、リチャードとヘンリーが会話を交わせるのはファンサで与えられるほんの数分間だけだった。
あの泥沼のような争いの事を忘れているヘンリーは、物腰穏やかでフランス特有の気だるげかつ優雅な所作のただの青年だ。
「今日のあなたも素敵でした。見る度に魅力が増しているようだ。こんなに人に惹かれた事なんてなくて。あなたの姿を見ると、何故かいても立ってもいられなくなるんです」
そう言うヘンリーは頬と言わず、目尻まで赤く染まっている。ガチ恋勢か?いや、そうではない。前世で自分の運命を賭けて殺し合った者同士、その輪廻に惹かれるのだ。
「もし、僕とあなたが生まれ変わったら…」
「お互い殺し合っているかもしれないな」
ヘンリーの言葉を遮るようにリチャードは言った。

リチャード三世ちゃん①〜⑦話目 

リチャードは我ながら酷い事を言う、と思っていた。目の前にいるのは確かにヘンリー・テューダーに間違いなかろうが、戦争の記憶をなくして、争いのない時代にいる今の彼は、ただの青年だ。罵る必要も侮蔑する必要もないがそれでも自分が死ぬ原因となった彼を穏やかに迎える事が出来なかった。
リチャードは、あんな事を言ったからもう来ないかもしれないと思っていたが、それでもファンサイベントがある時にはリチャードの元にやって来た。
態度はいつも紳士的だった。不快にならない握力でリチャードの手を握り
「話を聞かせろと仰っていたので」
と言い、色んな事を話してくれた。今日のライブの感想や見た映画、初めてラーメンを食べたこと、麺をすするのは難しかったがスープの味を気に入ったことなど。
他愛もない会話だったが聞けば聞くほどこの怨敵もただの人間で、ごく普通の感性を持った青年なのだと思い知る。
リチャードは、そうか、それは良かったな、また聞かせてくれと返事をした。ヘンリーは喜んでいたが、その裏ではいつも「この男が記憶を取り戻したら自分を憎むようになるのだろうか」と漠然と考えていた。

リチャード三世ちゃん①〜⑧話目 

リチャードとヘンリーはファンサの限られた時間で会話を交わす。5分にも満たない、ごく僅かではあるが、それでも充実した時間だった。
いつもはヘンリーが楽しかった事や美しいと感じたもの、この国は安全で住みやすいが満員電車に参ったことの愚痴などを話していたのだが、この日リチャードは自分からヘンリーに話しかけた。
「なぜここまで私に惹かれるのか考えた事はあるか」
何故こんな質問をしてしまったのか、リチャードは自分の感情が分からなくなっていた。
この異世界で会う彼はあまりにも普通だった。美しい物を美しいと感じ、美味しい物を食べて感激し、嬉しそうに日々の事を話す、その辺に居る青年なのだ。
そしてリチャードに惹かれると言い、健気に自分の元に通っては会話を楽しんでいる。
「あなたと話していると楽しいんです」
いつだったか、少しはにかんだ表情でヘンリーがそう言った事を思い出す。
(私もお前の話を聞くのが楽しみなのだ)
その時、その言葉はリチャードの胸の奥底にしまわれ、「そうか」という一言だけが声となって出てきただけだった。

リチャード三世ちゃん①〜⑨話目 

「惹かれる理由ですか…考えました、たくさん」
リチャードの心臓が大きく鼓動を打つ。
「正直な事を言うと今まで男性にこんな気持ちを抱いたことすらない。そもそもあまり人に対して興味を持つ事もなかった。だから考えました。でも、いくら考えても理由は分からなかった。ただ、どうしようもなく、僕はあなたに惹かれている。それだけが事実です」
その惹かれる理由が因縁と呼べる物である事を、この男はまだ知らない。
リチャードは少し安心し、そして、安心した事そのものに驚いた。この男にこのままで居て欲しいと思っている自分に。
どうか記憶を取り戻さぬよう。自分が白薔薇のリチャード3世王でヘンリーは赤薔薇のリッチモンド伯だと思い出さずに、このささやかな会話を続ける日々が続くよう願っている事に。
ああ、神よ。
王の責務から解放され、戦いに出る事も謀略に明け暮れる事もない異世界のぬるま湯につかり、心が弱くなってしまった。
リチャードは、初めて自覚した自らの感情によって、甘い香りのする春の嵐の中にいるかの如く掻き乱されていた。

リチャード三世ちゃん①〜⑩話目 

それから少し経ち、秋が深まってきた頃のファンサの日。
「今月末、英国に帰る事になりました。来れるのは次のファンサで最後です」
突然だった。ヘンリーは今月末祖国であるイギリスに帰るという。彼が言うには、1人イギリスに残してきた母親が病にかかり、容態があまり良くないと連絡があったとの事。
「そうか…残念だ。母上の傍に居てやると良い」
「はい。初めてあなたにお会いしたあの日から、充実した時間を過ごせました。最後にお会いできる事を楽しみにしています」
「ああ。待っているぞ」
「エドワード陛下にもよろしくお伝えください」
ヘンリーはそう言うといつも通りリチャードの手を離し、帰って行った。
ふと、リチャードは思う。さっきヘンリーはエドワード陛下と言った。自分たち地下アイドルは兄弟ユニットで、兄の名前がエドワードであるのも周知の事実だ。
だがエドワード陛下と呼んだのは?
兄がエドワード4世である事に気付く人間がいるとすれば、実際にエドワードの姿を見たことがある人間くらいだろう。そしてヘンリー・テューダーは…あの時代の人間だ。
もしかしたら、ヘンリーは既に、記憶を──

リチャード三世ちゃん①〜⑪話目 

ヘンリーにとって最後の握手会の日。
「記憶が戻っているのだろう」
先に口を開いたのはリチャードだった。ヘンリーに向かって悠然とした態度で言う。元イングランド国王リチャード3世が纏う威風堂々としたそれであった。
「私が誰で、自分が何者であるのかも。いつから記憶が戻っていた?」
ヘンリーは俯いていたが、やがて話し始めた。相変わらず微笑んでいるように見えるが、憂いを帯びた瞳には別の感情が浮かんでいる。
「もし僕とあなたが生まれ変わったら、と話したあの日です。あの時あなたは、僕の言葉を遮るように、お互い殺し合っているかもしれないと言った。
もし僕の記憶が戻ったら、きっとあなたは僕を怨敵リッチモンド伯と見なすだろうと思いました。それが恐ろしかった。今はただ、この時間が大切だと感じていたからです。僕は、ただのヘンリーとしてあなたと話す事が楽しかったのです」
「私もおまえの話を聞くのが楽しみだったよ」
リチャードはそう言い、ヘンリーの前で優しく微笑むと手を握る。上っ面を繕った握手ではない。力強く、しかし優しさと親愛さえ感じる手は、まさしく元イングランド国王の物だった。

リチャード三世ちゃん①〜⑫話目・完結 

ボズワースの戦いはこれから起こる未来ではなく、過去に起こり決着がついた出来事。
もはや過去は変えられない。
それならば、過去の作り出した輪廻から逃れられぬのなら─いずれ何処かで邂逅するとリチャードは確信していた。
「また会えるだろう。おまえと私なら」
「僕もそう思いますよ」
「そうだな。ヘンリーよ、アイドルでも王でもない私と会ったらおまえはどうしたい」
ヘンリーは突然の質問に少し考えていたが、やがて顔を上げてこう言った。
「紅茶を飲みながら他愛ない会話をして、花がたくさん咲いた美しい庭園であなたをハグしたい」
オリーブグレーの瞳がリチャードを真っ直ぐ見据える。リチャードは軽く微笑み、こう返した。
「良かろう」
「では、キスは?」
「バカめ、調子に乗るな」
ヘンリーは照れた様子のリチャードを見てニコリと笑い、名残惜しげにリチャードの手をそっと離し、帰って行く。このまま羽田空港に向かい、飛行機に乗って母に会いに祖国へ帰るのだろう。
リチャードはヘンリーの後ろ姿を見送りながら、次は、たくさんのバラが咲き誇った美しい庭園で彼に会えることを願った。

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