『個性のダンバー数』とかいう概念を思いついた

個性のダンバー数とその限界、俺はその外側を見たい
あるいは内側、それらの狭間…

今は、農業革命、産業革命に続く「第三の波」、いわゆる”情報革命”の最中にあると思うんだけど、こういったデジタルの波っていうのは人々の生活や社会を変えただけではなくて、”認識”も変えた、あるいは”認識”のその限界を表面化させたと思うんだよね

例えば今スマホとかパソコンとかで出回っている”ノイマン型コンピュータ”ってのは、電子回路上で電流を流したり弱めたり?(あるいは流さなかったり?)して、それを0と1の2つの記号を使って情報として表現しているみたいなんだけど、それって実際には厳密には、つまりアナログ的に考えたら0と1じゃないのよ
1とされている状態、つまり電流が流れてる状態でもそのアンペア数みたいのは違うだろうし、0とされている状態でもそのアンペア数は違うはず
要はデジタルってのは「中途半端なもんを無視して雑にカテゴリ化していきます」っていう姿勢なのよね
(添付画像はこの「個性のダンバー数」のイメージ画像)

//返信先への注釈

すまん『 #次代精神 』は抜いてくれ
こんなもんは次代精神と呼んじゃいけないと思う
今の現代人の”悩み”そのものだから
そこに解決策を示せない限り『 #次代精神 』とは呼べない

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