すぐこの話をしてしまうけれども、多分しんどくなく口に出せるようになったことが嬉しいのだろうなーと思う。当時の自分の状況のことは長らく口に出せなかった。
『ネカフェ難民』という言葉、今だったら使わないけれど、それより前はホームレス/路上生活者や更に侮蔑的な言葉しかなかったから、比較的ライトに使用できる言葉が出来てありがたかった記憶がある。
実際、世間のイメージほど路上で生活し続けているわけじゃない方が多いというか、洗濯やシャワーを利用できたりせめて雨風をしのげるネカフェや安宿やカラオケやビデオ試写室(?)とかをぐるぐる回って(一箇所にいると危険が増すので)、どうしても金がないとか今日は天気良くていけそう、みたいな日だけ路上という方が観測範囲では多かった気がする。
特に若年層や男性表象でない者には路上はハードルが高すぎる。
公園とか集団で生活できる=犯罪遭遇率を下げられる場もあるけど、やっぱりそこもシス男性中心で近寄り難い印象だった。
だから若年層かつシス男性以外が安全に利用できるシェルターってすごく大事なんだけれど、そういう場でもほとんどトランスは考慮されないし、トランスフラッグ掲げているくらいフレンドリーじゃないとまず接触もしづらいよね
最後の希望くらいの気持ちで行くのに、そこで「シスジェンダーじゃないやつは路上に戻れ」とか言われたら耐えられないもの