東京と大阪の往復生活も、もう3年を過ぎた。などという言葉を自分で書くとは思わなかった。元来アクティブな人間でもなく、全国を飛び回るような仕事を避けて今までやってきたのに、人生はつくづく、自分の想定通りにはいかないものだと思う。
僕は旅行は好きではないが、逃避行は大好きだ。幼稚園を脱走して一人で家に帰ってきたり、中学生の頃に自転車や電車であてのない日帰り旅行を繰り返したり、大学の頃にバンコクの安宿で一日中ウトウトしていたのも、「あそこへ行きたい」ではなく、「ここにはいたくない」という思いが主な理由だったように思う。
観光地のような「非日常」にはあまり興味がなく、自分の事を誰も知らない世界で、毎日繰り返されている「日常」に潜り込むのが好きだ。特に何もない街で、どこにでもあるビジネスホテルのベッドに寝転んで、地方局の夕方の情報番組なんかを見ていると、次第に自分が解放されていくのを感じる。
つげ義春がボロ宿に好んで泊まる事を「自己の否定による自己からの開放」としたが、僕の逃避行も同じようなものかもしれない。