抗議活動(広い意味。友人と今起きてる問題について話す、ニュースを見る、有益情報をSNSでシェアする、体調不良で動けないから寝たまま歪な構造を生み出している人物に呪いの念を送る、プロテストの意思を持つ1国民として生存するためにとにかく休む、生存するために働く、ボイコットする、デモに行く、選挙行く、寄付する、寄付するために働く、関連書籍を買うetc)の動機は絶対自分を主軸に置かないとやっていけんと思う 自分を主軸に置かないとブレるし、他人のボーダーラインを踏み越えたり逆に踏み込まれたりして己の生活が追い込まれる 『自分はこう思うからこう動きます』で完結しないと行き詰まる 

人は変わらない 他人は言葉では絶対に変わらない 変えようとも思ってはならない 他人が変わることを期待して行動しまうとそれは一生叶わない望みなので絶望してしまう だから「自分が〇〇を許せないから〇〇をする」「同じく〇〇に反対する仲間と自分は連帯したいから」というふうに、自分を主軸において動く必要がある 
同時に、自分を主軸にしたひとりひとりの行動が、もしかすると、未来の同志の人間にバトンを渡すような感じで、何百年後とかに何か変わってるかもしれない みたいな希望もちょっとある

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ソースは祖母を自〇未遂まで追い詰めた祖父と、母をカサンドラにした挙句浮気してどっか行った父

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