フェミニズムやフェミニストたちの主張にはじめてまもとに目を通したのはTwitterでだったし、ノンバイナリーというジェンダー・アイデンティティがあると知って目眩がするほど安心したのもTwitterを見ていたときだった。
Twitterをすきかきらいかで考えたことがないから、すきなものが変貌していくことへの悲しみとか嘆きみたいなものはないのだけど、背骨まで資本主義に蝕まれてるような男ににやにや笑いで踏み荒らされたらいい気分ではない、もちろん。
もはやうごめく地獄みたいな場所だけど、そのなかであっても安心を得られるコミュニティを見つけたり、リアルの人間関係ではかなわなかったコミュニケーションに救われてきたひとたちがTwitterにいる。
そのひとたちの「居場所・避難場所」が、社会構造上の権力者によって「整地」され、より金銭的な利益が生まれるかたちに作りかえられていく様子は、ただの暴力行為にしか見えない。