「人間性」とは何か。それは本当に「人間」に限定された性質なのか?「人間性」が無い/足りないことは悪なのか?「人間」的でない在り方は劣っているのか?正しくないのか?批判されなければならないのか?

人間中心社会において「『人間性』に問題がある」と言って「人間(と判断した者)」を「批判」するのは、例えば、男社会の中で「男らしくない」と言って「男性(と判断した者)」を「批判」するのと似ていないか。

「人間性」で我々を評価するのはやめて。ヒトに生まれた存在全てに「人間」であることを押し付けないで。
様々な種やアイデンティティ、実存が有る中で、「人間」としての在り方こそが至高だと、「人間」に「届かない」者は劣っていると、無意識に感じていないか。

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特に差別や暴力、搾取を批判する文脈で「人間性」だの「人として~」だのを持ち出すのって、「人権」を道徳や思いやり、優しさなんかの話にすり替えることと同じじゃないのか?
思いやりの心や優しさのような性格の特性が無くても反差別が実践できるように、「人間らしさ」とか「人の心」なんてものが無くても反差別は実践できるし、いくら「人間性」なる性質があったって差別しないわけじゃない。

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