『コット、はじまりの夏』観た

沈黙は悪いことじゃない。家庭の事情で親戚の家に預けられた寡黙な少女のひと夏。最後がね…最後がさ…もう泣けて泣けて。

寡黙でいるあいだに、しっかり傷ついて、考えて、心は育っているのが伝わる作品。主にコットの見える範囲を描写するので断片から読み取るものが多くなるが、どうネグレクトがあって、おじさんおばさんがコットにどう優しさを向けてくれているか、そしてコットが感じとるものが繊細であるかがとても伝わってくる。寡黙であることで得られる豊かさを、まさに感じられるのがとても良かった。

特におじさんの、接し方に迷ってる感じからの打ち解け方がすんごい刺さって(自分も同じタイプだと思うし)。もう、あのビスケット一つ!泣いてしまうー!おばさんの、視線を合わせた柔らかい距離の取り方も素晴らしい。萎縮したコットが和らいでいく姿の温かさよ…。

だからね、もう最後がね…疾走と抱擁のエモと同時にあの近づいてくる人影がね、ぐあー!現実!解決はしないよね!つらい!となるのだけど、もう私の中ではコットはおじさんおばさんの家の子になるんだ!ということで、苦しさを紛らわします…。
いい作品だった。

 

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『コット、はじまりの夏』続き

始めにおばさんと接する描写から、徐々におじさんとの描写が増えていくこと、そして最後の場面を考えると、やはりコットとその家族にとって一番の問題は父親ということだろう。彼があの状況の原因である。母親もほぼ育児放棄しているが、彼女も父親からDVを受けていて(困窮もだが、次々に子供を生ませるてるんだよね…)、もう子供へ向ける余力などなくなっているのがありありと分かる。宝くじが当たった母親がどうしたか聞かれて、当たったお金でみんなでゼリーを食べたとのコットの台詞が良いなと思って。母親は子供達への愛情はあるのだがしかし…というのがこの台詞だけでわかる。

実際問題、コットをあの環境から救おうとするなら、福祉…福祉の手が入ることなんだろうな。
子供と丁寧に接しようとする大人と、福祉システムってのは大変重要なものなのだよね。

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