本邦の場合、政治に守ってもらうべきは健常者である「普通の」日本人だって言う意識が強いのでは?
福祉周りでも、今の世界の潮流である当事者を中心、障害を持つ本人センターという考え方ではなく、いつも支援者/家族である健常者の疲弊に対するケアばかりが声高に言われている気がするのだが

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確実にこの社会に存在しているというのに、教育を受けたり社会資源にアクセスしたりして、社会を構成する個人、一員として生きていく機会を障害当事者は奪われ続けている
「何もわからない」ところに避けられて健常者からの支援を待たねばならない
自分から「こうしてくれ、こう生きたい」と声を上げる力を奪われ続けていると思うのだけど
何も、声を上げることだけが生きることではないし、健常な人でも本邦では声を上げないからそれが通常だろうと思われるかもしれないけど、酷い境遇にあっても生き方を選ぶ気力すら奪われているって思うんだよね

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