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青い鳥の骸 に代表されるあの手のTwitter下げをする人たちは、骸としたり顔で表現しつつも自分もその骸の一要素だってことに気付いていないのでは?と思う。
その骸をつくったのはユーザーなわけじゃないですか。プラットフォームでもサービス提供側でもなく。あの空気感をつくったのは紛れもなくユーザーでしょ?
あなたがどのSNSに行こうと、新興SNSにいるのは元Twitterユーザーが現Twitterユーザーなんですよ。骸と下げるわりに、骸から骸(にそのうちなる)に移動しているだけって、なぜ分からないんだろう。
Twitterを経験した人間が集まるんだから出来上がるのはTwitterっぽい何かなんだよ。よう骸と下げられますね。の気持ち。おもしろい。自分は違うと思っているのかな。

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