今日広く舗装された陸橋みたいな下り坂をゆっくり歩いていたら、先のほうに五歳くらい?の白人の女の子が金切り声で泣いて何かを母親にさせようと要求していた。母親はしゃがんで何か話していたようだが、そのうち笑ってしまって、笑ったまま女の子を置いて少しずつ先に進んでいった。
言葉にするとひどいようだけど、見通しがとてもいい道で私たち二人(すなわち杖をついた機嫌よさそうな女と、彼女を気にかけながら歩調を合わせている、白人から見れば小柄なアジア人の男)しか見える範囲内におらず、数歩ごとに振り返っては駄々を諦めてこっちにおいで、というようなことを言っていて、一定の距離ができた後は止まっていたので、虐待や放棄というニュアンスはまったくなかった。
私たちはなにしろバカンスだし、子どもが両腕を突っ張って時折息継ぎをしながら主張のために泣くのは世界共通なのかねえとか言って笑ってしまうくらいのもので、「子どもが強情に泣き叫んで駄々をこねていて母が宥めるのも一切聞かず置いて行かれている」という光景で連想する地獄みがなかった。→
@miscoscim →これ、日豪の子どもが泣くことや母親や子育てに関する社会的なリテラシーレベルの差の表れではあると思う。間違いなくある。
ただ体感して思ったのは、開放空間で音が拡散していって、自分と泣き叫ぶ子の距離が好きに取れたら、金切り声だろうが長かろうが痛くも痒くもないなあ……ということ。
申し訳ないけど私はお子の金切り声はかなり苦手で、泣いてなくてテンション上がってるだけでも数分維持聞いてると辛くなるので……今が楽しい旅の途中ってだけではないと思う。
物理的に「広い」ことって有利だね。