私の母は、若い時からずっと切手を集めるのが趣味で、その時日本国内で発行された切手はすべてシートとばらで買っていた。地元の郵便局で買えない他府県のふるさと切手なども郵趣会から買っていた。「歳をとったら、その切手を整理するのが楽しみ」とずっと言っていた。ところが、ある時から「何のために集めているのかわからなくなった」と言って、もう切手を集めるのをやめてしまった。
コレクションとか収集というものは、「何のために」などという目的があるわけではなく、ただ単に集めるのが楽しいから集めるのである。「何のために」などと考えるようになったらもうコレクターではない。
さて、私は今、花や野菜を育てるのが面白くてたまらず、毎日庭に出ては、何かしている。バラや芍薬のつぼみがふくらんできたとか、枝豆の芽が出てきたとか、芝生が肥料焼けしてしまったと言っては一喜一憂している。単に野菜を食べるためだったら、店で買った方がずっと安くていいものが手に入る。わざわざ手をかけて野菜を育てているのは、面白いからに過ぎない。しかし、私にも、ふとある日、「何のためにこんなことをしているのかわからない」という日が来るような気がする。
写真は、ユリイカという薔薇