なんで「選挙にいこう」ってフレーズじゃ
響かない
人は動かないのだと思いますか?

ずっと前から考えているけど
答えが出ない

あなたは なぜだと
思いますか?

#マストドン非暴力部

1. 市民の権利に対する意識が非常に低い
2. 仕事と娯楽に忙しく政治を考える時間がない

以上2点ですね。日本人はそもそも「政府は我らが我らの中から選んだ我らの代表者」ということをまったく理解できていないと思います。

@Tonbi_ko @cubic_drop_for
教育もあるのでは?投票に行かないということはどういうことか、偉い人に指示された人に投票しなくてもよいこと、だれに投票したかはわからないこと(過疎地ではわかるかも?)などを学校で具体的に教えるべきだと思います。

@Tonbi_ko @cubic_drop_for
私自身のことは何十年も昔のことなので習ったかどうか、忘れました。でも、習ったとしても、それが投票行動に結びついていないわけですよね。
どこかの町の学校で(中学だったか高校だったか忘れました)授業で模擬選挙をしていて、その町では若者からお年寄りまで、選挙に行くのが当たり前と思っていて、投票率が大変高い、というのをテレビで見ました。教え方を工夫すると、投票行動に結びつくのではないかと思いました。

模擬投票はすばらしいですね。どうしたら各自治体で模擬投票が実現するでしょうか。

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@cubic_drop_for @Tonbi_ko
たぶん、テレビで紹介されていた町はこの金山町だったと思います。おおむね80%前後。そもそも山形県が投票率が高いんですね。ちょっと意外です。両親の出身地ですが。

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これは、「高校生議員」という、「自分も出馬できる」体験が大きな影響となっているんでしょうね。しかし今の日本の選挙制度は、立候補に平気で年収以上のお金がかかるなど、お世辞にも公正なものとは言えませんから、そこを改めていかないと、全国に、永続的にこの風潮を広めていくのは難しいと思います。

制度そのものに大きな欠陥がありますから。

@Tonbi_ko @cubic_drop_for
それはそうなんですけれど、選挙制度に欠陥があるということにも、政治に対する関心がないと気付けないと思うんです。供託金が高いということも中学の社会科で習うかもしれないけれど、むしろ授業では、なぜ供託金という制度が必要か、というように教えられると思います。実際、私はそのような記憶があります。それに供託金の金額は、中学生には年収以上かどうかというような切実さは感じられないし、自分には関係ない感じがするでしょう。

立候補しようと思って初めて供託金が自分には払えない(没収されたら困る)金額であることに気づく人もいるでしょう。つまり、選挙に関心が無いと、そういう選挙制度の欠陥にも気づきません。

選挙制度には確かに欠陥があるのですが、だからこそ、そういう選挙制度を変えるために、投票に行って政治を変えないといけない、と啓発することが必要だと思います。

教育に問題があるわけですが、さらにその根底にあるのは「お上に逆らうような教育はできない」「現状を変えたいと思ってしまうような教育はできない」という忖度意識ですね。で、なんでそうなっているかと言うと、やっぱり革命で政府を変えた成功体験がゼロだからでしょう。制度ではなく国民一人ひとりの意識でみると、一党独裁の中国やベトナムのほうがずっと政治参加意識は高い。これはやはり革命で作った国だからだと思います。

みなさんいろんなご意見ありがとうございます。

原因も大切ですが、ここから「日本の市民はどうしたら動くか」という少し前向きな話がしたいんですね。

なので革命を知らないなりに、教育が市民に民主主義の本質を教える意味がないなりに、どうすれば、の方向でお話しいただけると、大変ありがたいのです。

ドラスティックに一気に変わることはないと思いますよ。それこそ原発があと3個くらい吹っ飛ぶとかない限り。ただやはり長期的な目でみると、人権意識などは徐々に変わってきてはいますよね。長い目で見るしかないんじゃないですかねえ?

そうなんですけど、多少なり物事が見えている者には、そこまでは待てないですね。

ここまでの5年10年でも、いわゆるリベラル的な人たちはわたし含め、相当擦り減ったはずです。しくしく。

んー、私は外国に住んでいるので、自分がどんなに悔しくても、どんなに変えたくても、変わらないものはしょうがない(私がこの国に及ぼせる影響などしれたものですから)と達観できている部分が多いですね。日本も「リベラル」だけのものではないですしね。まずは己の中にしっかりと真善美の基準を持って、できることを着実にするしかないのでは?

あと私はクリスチャンなんですが、やっぱり私達の生きているこの世界って所詮は「苦界」なんですよ。私は宗教を持つことで「私は本来は真善美の揃った天の国の住人なのだが、今は一時的にこの苦界に遣わされているだけだ」と思い込むことでかろうじて耐えられているし、戦えていると思うんですね。

ガンジーも決してヤケを起こさずに、「ただ犀の角のように」できることをやっていたと思うんです。それが非暴力不服従。

で、それではもう絶対に耐えられないと思うなら、それはやっぱり暴力革命を起こすしかないと思いますよ。

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