コンテンツ批判をする「女性」に、コンテンツを愛好する「男性群」から無数の反抗リプが飛んでくるの、リプ飛ばす男性側がコンテンツに「同化」乃至「埋め込まれている」ような接し方してるからではないか?
コンテンツと「同化」していれば、コンテンツへの批判は自身への批判にしか見えないからね。
そのコンテンツ批判への「反発」から、熱海の居酒屋さんへの執拗な嫌がらせや女性支援団体への「的外れな監査請求」みたいなことするんじゃ、いずれ結局はこの社会の自身の居所を自分でなくすよな。
コンテンツに溺れて自身の社会での居場所を自ら崩すのは、悲劇なのか喜劇なのか?
飲酒運転で事故起こしてから、「そんなつもりはなかった」と言ったところで、自身が起こしたことの責任は自身が償わなければならないことと同じだ、ということに、いつまで気づかないふりできるのだろうか。