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自分の信念として、大学生は対等に接したい(へんに「子ども扱い」しないし、「手心」を加えないし、ちゃんと用意した話をしたい)と思っていたけど、それを授業でやるとあまりに重たい、ということかもしれない。まあ授業の時点で「対等」なんてありえないものなあ。

そもそも権力勾配のある授業という場では、あまり張り詰めると精神的負荷がかかりすぎるから、もうちょっと「手放す」感じでいいのかもしれない。じぶんの権力性にもうちょっと自覚的にならないといけない。

あわよくば、授業という場の議論も自分の研究につながってくるといいな、という欲があったことは否定しない。でもそれはぼくの都合だからねえ。それに付き合わされるのはたまったもんじゃない、という話かもしれない。

「研究」と「授業」は切り離して、後者として話をしていこうと思う。「授業」で「研究」をすることを求めないし、もっと別のことを目標にしていく。

自分は「研究」にとてつもない愛着があるので、たぶんそうでない人からしたらとても息苦しいのだと思う。運動会大好きな教師が「みんなで全力を出して!! 一丸となって!!」って言ってきてはぁ? となる感じを、研究大好きなかんめらがやってるのかもしれない。

とてつもない愛着があるものを、セーブしなきゃいけないのはちょっと寂しいな。まあでもそれがふつうの働く人か。自分はそれでも金をもらって研究できるぶん、恵まれすぎている。

「研究」に関するコミュニケーションってむずかしいね。科学コミュニケーションとか、アウトリーチの話につながるかもしれない。

たぶん自分は、授業をアウトリーチの手段の一つとしてとらえた方がいいんだと思う。それは別に相手を低く見るという意味ではないし、その方がお互い噛み合ったコミュニケーションができる気がする。「研究」以外のコミュニケーションの軸を自分の中に用意する。

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