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《マジョリティとは、気付かずにいられる人/気にしないでいられる人》

それはそうだと思うが、自分がマジョリティでいられる場所で生きていくというのは、ある意味自分を守るためでもあると感じる。

例えば、憎悪が当たり前のTwitterでは、それを否定する人や異を唱える人は、Twitter上ではマイノリティになる。だから叩かれる。

憎悪がマジョリティのTwitter内で戦うのに、自分がボロボロになってまで個人がやることではないと思う。

(ここでいう憎悪は、憎悪の内容ではなく、憎悪する行為を行う人をマジョリティとしています)

憎悪の内容について戦うなら、Twitterでなくてもできること。

Twitterからマストドンに逃げたから気づかずいいられるとか、気にしないというわけではない。

前にも書いたけど、アンティファの集会でオルト・ライトの青年が殴り込みにってボコボコにされた事件で、オルト・ライトの青年が後に言った言葉が印象に残っている。

「自分が主張することを、自分の田舎で言ってもボコボコにされることはない、寧ろ称賛される。自分は間違っていた。ああいうこところに行って殴り込みに行くのは間違っていた。自分のところで主張するべきだった」

それに、Twitterについては、所有者はユーザーのものではなく、イーロンマスクのものだということ。

だから、イーロンマスクは好きに運営する権利はある。

更にいえば、ユーザーは、ただでTwitterというプラットフォームを使わせてもらっていると立場なのに、イーロンのやり方を否定して、異議をとなえながらあそこにいるのはちょっと図々しいんじゃないか?と思う。

だからこそ、ユーザーは、投稿でTwitter社の利益に協力する仕組みになっているんだよね。

そういう状態で、イーロンを否定して戦うことが可能なのかなあ。

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