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79年前の今日・1945年5月27日は、沖縄戦で日本軍が首里を放棄した日。
軍は首里城地下の巨大な司令部壕を捨て、住民を巻き込みながら南部へと撤退を始めました。
こちら『沖縄戦新聞』(2005刊)は、当時の出来事を現代の視点と新資料に基づき記事化した新聞。
第10号で、この状況を報じています。
(続く)→

(続き)→ シュガーローフなど周辺の戦闘は苛烈を極め、米軍では死傷者と戦闘神経症患者の合計が1週間で約4千名近くに。
追い詰められた日本軍では、無謀な特攻や負傷兵への自決強要・住民の食糧強奪などが起きました。
勝ち目の無い抵抗の継続は、本土決戦までの時間稼ぎであり、住民保護の視点は無かったのです。
*
この撤退時の様子については、多くの証言があります。
10代の少年兵が地雷を背負い、戦車へ特攻させられた話。
軍の将校が金モール付きの軍服を脱ぎ、貧相な農民の服を着て逃げた話。
山に籠る敗残兵が住民をスパイ視し、暴行・斬殺した話…。
沖縄戦からは、戦争や軍隊の醜い本質が見えてきます。

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