積読の山を崩していたら、500年前の鄭和さん強火担を発見してしまい、ちょっと脳みその処理が追いつかないでいる。
1520年に蘇州の黄省曽という人が書いた「西洋朝貢典録」という著作なのだが、序文をいきなり「西洋之跡、著自鄭和。鄭和、永楽初為内侍」と書き始めてやたら鄭和さんフィーチャーするなと思ったら、具体的な事績から鄭和さんの容姿評価(でかいとか虎のようとか内侍中ピカイチとか)まで引いて「何て賢いんだ」「とても智略に富んでる」的なコメントを本文中でも連発しており、これはまじで鄭和さんに惚れ込んでやがる…になりました。
鄭和さん基本的には永楽帝に使節として派遣された宦官だから、自身が主語として語られることはほとんど無いし、文法上主語になっている場合も「命を受けて/勅を奉じて使いし」みたいなのばかりだから、本人を捉えて「彼が有能だったのだ」と評価されるのはすっごく珍しいと思う。主に軍事面での評価(地域勢力の紛争に介入し安定化を図ることによるマラッカ海峡のシーレーンの確保)なので、ちと微妙な心境ではあるけれども。
なお、黄省曽の子が文徴明や祝枝山に師事したらしいので、黄省曽も彼らと交友があったのでは…?というところも気になっている。呉派、書画だけでなく結構色々な方面にリンクが飛んでいて、びっくりだ。
↓これ。
https://zh.wikisource.org/wiki/西洋朝貢典錄