お疲れ気味なのでSNSをぼーっと眺めているよりは、と読めない明太宗実録で鄭和さんの記事をぐぐっていた。初出は洪武35年(建文4年)の11月で(翌年が永楽元年)、「癸卯遣太監鄭和祭乳母馮氏」とある。朱棣の乳母の名前が馮氏ってこと? そしてすでに亡くなっている自分の乳母のことを鄭和さんに命じて祭らせたということ? ここだと鄭和さん割と宦官らしい仕事している。
ちなみに乳母のことは永楽3年に「保聖賢順夫人」に追封して、その時は自分の息子に祭らせている。他の皇帝の実録を「乳母」でぐぐっても、ナントカ夫人に封じるというのは幾つかあるけれども、自分の息子に自分の乳母を祭らせた記事はなさそう。とすると、朱棣の乳母への愛はかなり深いような気がするし、それを即位直後の時期に鄭和さんに祭らせているの、思った以上に朱棣と鄭和さんの関係近いのかも知れない…? どうかな…