当時大衆の支持絶大な吉屋信子とは仲良くしていたのは信子が「女は優しくありあわなくては」という原始フェミニズムを実践していたからだろうか。信子は芙美子が自分のお嬢さんいい子ちゃんキャラを妬み世間知らずと見くびってもいたのも見通していたし(宇野千代にも吉屋さんは恋愛のドロドロはわかってないよねーと言われてもいた)、芙美子がこの国好みの渋い純文学作家として自分より永く公正に評価され続けることもわかっていたから、女流作家伝にもちくちく芙美子の嫌われるところを挙げてるんだけど、それ以上に芙美子の悪評に同情もしていたし、早すぎる燃え尽き死を悼む気持ちがあった。自分と宇野千代と対談した直後に死なれた衝撃も大きかったんだろうな。
芙美子はメンタルは健康過ぎるほどだったと思う。あの時代に文章書けてもの言える頭を持ってつけこまれる形の破綻をしていたら「屋根裏の狂女」で押し込められるもんな。岡本かの子は兄や反省した夫の過剰な保護という幸運で守られたし、宇野千代は異性愛規範と男からの搾取には応えていたから許された。吉屋信子もクソミソジニストにもいちいち抗わないサバイバル手段はとっていた。