バービー見た!バービーが題材であることで取りこぼすものも多くあると思うけど、「フェミニズムは女性だけのものではない」という映画だったと思う
竹村和子のこれを思い出した もっと見る
「フェミニズムは「女」というもっとも身体化されている存在,本質化されている存在を切り開いて,それを歴史化すること,つまりそれをとりまく社会関係の糸をたどり,「女」というカテゴリーのみならず,それと相補的な関係にある「男」というカテゴリーを解体し,そして女と男という「異なった二つの性」を必須のものとしている異性愛主義の桎桔「非異性愛者」だけではなく,いわゆる「異性愛者」をも呪縛している桎桔を明らかにすること,またひいては,「女」のアナロジーを利用して戦略的に説明されてきた他のさまざまな抑圧形態から,そのアナロジーを奪い去ることである.したがってわたしが念頭に置いているフェミニズムは,女に対して行使されてきた抑圧の暴力から女を解放することを意図しながら,同時に,そのような「女の解放」という姿勢自体を問題化していくこと,つまり「女」という根拠を無効にしていくことまさにフェミニズムを,現在女と位置づけられている者以外に開いていくことである.」
バービーランドはバービー中心の世界である、ってとこからホワイトフェミニズム批判、インターセクショナリティの話になったらな〜と思うから、フェミニズム映画ばんばん作られてほしいね…
たしかに、現実世界の「ケン」に向けた映画だと理解すると、↑のような物足りなさも納得できる…
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竹村和子のこれを思い出した
「フェミニズムは「女」というもっとも身体化されている存在,本質化されている存在を切り開いて,それを歴史化すること,つまりそれをとりまく社会関係の糸をたどり,「女」というカテゴリーのみならず,それと相補的な関係にある「男」というカテゴリーを解体し,そして女と男という「異なった二つの性」を必須のものとしている異性愛主義の桎桔「非異性愛者」だけではなく,いわゆる「異性愛者」をも呪縛している桎桔を明らかにすること,またひいては,「女」のアナロジーを利用して戦略的に説明されてきた他のさまざまな抑圧形態から,そのアナロジーを奪い去ることである.
したがってわたしが念頭に置いているフェミニズムは,女に対して行使されてきた抑圧の暴力から女を解放することを意図しながら,同時に,そのような「女の解放」という姿勢自体を問題化していくこと,つまり「女」という根拠を無効にしていくことまさにフェミニズムを,現在女と位置づけられている者以外に開いていくことである.」