昨夜からの流れで昔の博多・福岡の地図を見てみたのだけど、昭和11年修正発行の地形図を見ていると博多部はともかく福岡は、今とぜんぜん違う「まちの姿」だったんですねぇ…

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昭和初期の福岡のまち、今の那の津通り辺りが「波打ち際」となる浜辺で、明治通り・電車道は福岡城の内堀・中堀ですね。まあこの辺りは聞いていたような内容なのですが、今の昭和通りが「福岡の呉服町・本町」としての商業軸、だったのですねぇ…。

そして西公園は「荒津崎」で、その根元の両脇に港がある典型的な「岬」だったのですねぇ…

福岡の街はいまの感覚だと天神辺りから西新辺りまでつながっているような印象ですが、昔は天神~大濠が福岡城の城下町で、ここと大濠を挟んで西側に八幡宮移転で出来た新市街「西新町」があり、その間が福岡港・伊崎港ベースの市街が拡大して融合した「3つの街の合成体」なんですねぇ…

そして西新は「にしじん/まち」ではなく「にし/しんまち」だったのですねぇ…(ちなみに西新/にしじん集落はもう少し南にあったそうな)

それより何より、百年前は能古島ではなく「残島」だったのですねぇ…

のこのしま、残りの島だった、のか…

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