十二国記『華胥』備忘録感想①
華胥の「責難は成事にあらず」は、砥尚や朱夏のような「正義感が強くアクティブだが実は無能な人」へ向けた手厳しい教訓であるわけだけれども、同時に力強い励ましでもあると感じた
砥尚と栄祝は思い余って道を踏み外してしまい自らの命で政に関わる資格のないことを償うしかなかったけれど、道の何たるかに悩み自省し何とか熱意も守り切った朱夏には生きてやり直す修羅の道が残された
それで朱夏が立派に国を支える官吏になるかというと、きっと現実はそんなに甘くなく、何度も自身の無能を突きつけられながら生きていくのだろうけども、そのように大事は成せずとも真摯に生き永らえることをこの物語は肯定してくれていると思う
また、黄姑が砥尚の禅譲の報に接し「本当に、なんて立派な」と言うシーンから、過ちと退場を余儀なくされた砥尚に対しても一縷の敬意が示されている
そして無能を露わにされた朱夏たちの下で賢しらにしていた青喜に「あなただけ責任のない立場でいたいなどという甘えは通用しませんよ」と厳しく諭したその黄姑自身が、登極し王に選ばれる……
十二国記『華胥』備忘録感想②
砥尚がいたときは黄姑ではなく彼が王に選ばれたから、黄姑はこの『華胥』の一連を通して覚悟を決め王の資質が完成したように思う もともと立派な人には違いなかったけど
供王珠晶も黄海の旅を経た後に王として麒麟に迎えられたけど、あれも旅の経験と覚悟により王気が完成したみたいなところがある気がしてて、黄姑もそれと同じ感じなのかな〜と
珠晶と黄姑、振る舞いや性格は全然違うけど、王として通すものの筋は似ている気がする
『風の万里 黎明の空』でも鈴と祥瓊それぞれに(救いのというわけではなく厳しめにチャンスを与えるという意味で)手を差し伸べる役として対峙するのがこの2人で、珠晶は「お前のここが駄目」「お前のような奴が一番嫌い」「祥瓊を許すことは真っ当に生きている人間に対する侮辱」とキツく言い放ちながら罪人としてやり直すチャンスを与え、黄姑は「あなたはまだ子供」「あなたはすごい方なのになぜそのようにされるのですか」とやんわり未熟さを指摘して絶対に甘やかさない 2人とも筋を通す王様