ウクライナとロシアのボタンの掛け違えが発生したのは間違いなく2014のマイダン。
それまでもウクライナでは親欧米派政権ができたことはあったが、ロシアはそこまで介入することはなかった(できなかった)。その理由としては、ロシアが経済的に弱体化していこともあったけど、選挙で選ばれた正統な政府がウクライナを統治していたことが一つ要因に挙げられる。これによってロシアはウクライナがきちんと条約を履行してくれることを期待できた。
しかしマイダンでこうしたウクライナへの信頼感は吹き飛んだ。革命的な政権交代によって、それまでの両国関係が継続できないと考えたロシアは武力による利権回収に走った。
もちろんこれは侵略以外の何物でもないし、ウクライナ人の意志としてロシアから離れたいというのもあったけれども、やり方を間違えたとしか言えん。
その一方で侵略によってますますウクライナをNATOへと追いやってしまったロシアも大きな間違いを冒した。最初は革命ウクライナへの不信感だけだったものが、いつの間にかNATOや西側諸国への不信感がそこに付与されてしまったわけである。
ロシアもウクライナもお互いがお互いを必要としている。