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「価値観のアップデート」という字面から、他人事ではないという気持ちと共に、どこか居心地の悪さや独特の苦々しさを感じるのは、「自分がまだアップデートしきれてないところがある」だけでなく、「自分もいつかアップデートに追いつけなくなるなるのでは」という不安があるからなのだろう。

古い機械がアップデートできなくなる時がくるのと同じで、年を経た人間も、いつかは認識をアップデートできなくなるのかもしれない。最近そう思うことが多くなった。

そうなったときに、自分はどうするのか。
まだわからないが、少なくとも、アップデートされた人たちの足をひっぱるような人間にはなりたくない。

世の中の変化のほうが、一個人の変化よりもずっとはやい。それはたぶん事実だ。時代の先端と歩を合わせていたように思っていても、人はあっという間に時代の先端の背中が見えるくらいのところに置いていかれる。それでもなんとか追いかけられる気力体力胆力知力があれば幸いだが、そうでない人のほうがたぶん多い。ついていってるつもりでお荷物になるか、疲れ果てて時代の先端が米粒くらいに見えるところまで置いていかれる。
そんなときに必要なのは、自分の認識が絶対ではない、自分が、自分側が常に正しいと思うな、良心は捨てるな、自他の人権は大事にしろ、ということなのではないか。

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