他人(というか個人だけでなく特定の属性や集団の人々)に加害することが、ある種のコンテンツや娯楽として楽しまれてしまう、という場合は残念ながらたぶん多々ある。それをしないよう気をつけてても、気づかないうちに日常や普段の意識に組み込まれていて、「娯楽コンテンツとしての加害」に加担してるみたいなのもたぶんあるのだろう。
そしてこれもたぶんの話だし、こういう話は本来慎重に丁寧に、おっかなびっくりで話すことなのかもしれないけれど、案外おれらは「正義の希求や義憤」と「娯楽コンテンツとしての加害」がどこかであやふやになってしまうことがままあるのではないかとも思った。
ただ、最後の話はちょっと保留したい気持ちもある(ならなんで書いた)